グェン タン ニャー(イエズス会神学生)

  私は2009年に宣教師として日本に送られてきたベトナム人の神学生です。去年の8月から東京の四ツ谷にある社会司牧センターで中間期が始まりました。ここで中間期をやる目的は神学を勉強する前に日本社会の知識を深めることです。
  与えられた期間をきっかけにして東京だけではなく、出来る限り日本の社会全体の知識を深めようと思って、去年の10月に大阪センターを訪問しました。イエズス会の日本管区には三つの社会司牧センターがあります。東京の「社会司牧センター」、大阪の「旅路の里」、下関の「労働教育センター」です。この旅路の里では日本国籍を持っているベトナム人のイエズス会員高山神父が働いています。このセンターは日雇い労働者が多い釜ヶ崎と呼ばれる町にあります。1950年代から大勢の人が仕事を探しにこの町に集まってきました。(釜ヶ崎についてもっと知りたければ以前に発行された社会司牧通信を参照することが出来ます。例えば、通信123号、94号、87号など)しかし、バブル経済時代が終わった時から、この労働者達は仕事を手にいれるのがますます難しくなってきて、野宿者になった人が増えました。
  私が釜ヶ崎についた時、最初に目に入った光景は野宿者がたくさん集まっている建物でした。私が着いたのは多くの労働者が仕事に出かける朝の8時頃でした。建物の周りには労働者を雇いに来るいくつかの会社の車が止まっていました。近づくと各車には小さい紙が張ってあって、そこには必要な仕事と人数と一日の給料が書いてありました。この条件に同意する人は仕事に行って、一日が終わると給料をもらいます。この雇い方にすることによって、会社は労働者に対するいくつかの義務を避けることが出来ます。事実上、毎日雇われる人は少ない。ほとんどの労働者はゴミを集めてリサイクル可能なものを見つけると、それを売って生活します。
  11時頃に野宿者に食べ物を配るボランティアの手伝いにセンターの近くにある公園に行きました。その日には約600人の野宿者が集まりました。その日のイメージは私の心に留まっています。なぜなら、私は日本に来てから3年間も経っているのに、その日初めてこういうことを見たからです。
  釜ヶ崎には三日間しかいなかったのに、公共の建物の前や暗い所に一人で座っている高齢者をよく見かけました。寒い冬の夜にも野宿しないといけない人がたくさんいるので、亡くなる人は必ず毎年数人いると言われました。
  イエズス会の社会司牧センター「旅路の里」と他のグループは、労働者達を手伝うために出来る限りのこと-散髪、炊き出し、病院や裁判での通訳等-をやろうとしています。日雇い労働者や野宿者の状況について学びたい学生もセンターに泊まることが出来ます。私は釜ヶ崎から一つの問いかけを持って東京に帰りました。それは野宿者がいつか人間らしい生き方が出来るために、私達はこれ以上のことがなにか出来るかと言う問いかけです。